2012年4月25日水曜日

書籍『アップルのデザイン』は本当に面白い。

 日経デザイン編『アップルのデザイン』という書籍を御紹介したい。これは、アップルの「デザイン活性型経営」を分析した書籍である。この本は、本当に面白い! この本を読んでから、“アップル”と“江戸時代から続く東京の老舗”には、多くの共通点があると考える様になった。
 
 この本では、様々な角度からアップルのデザインについて言及している。まず概論に続き、本物のデバイスを分解・切断して、細かな部品に付いて解説。内部構造デザインの話である。部品の写真や図版も豊富だ。この本によれば、iPhone4Sの内部構造は、とてつもなく複雑。日本国内メーカーのように生産効率だけを考えれば、ありえないデザインらしい。そして、ユーザーインターフェイスや店舗デザイン、広告デザインに触れる。特に面白いのは、アップルVSサムスンの法廷闘争を、豊富な写真・図版や資料で解説している事だ。サムスンの商品を、アップルのデザイン特許図版と全く同じアングルで撮影して横並びにしている。デザインが如何に似ているか、一目瞭然である。思わず大笑いしてしまう。サムスンの反論の内容も、豊富な写真と図版で解説している。アップルが特許出願し、公開されている特許公報の解説までしている。つまり、アップルは特許出願しているが、まだ商品化されていないアイデアまで解説しているのだ。アップルが、これからユーザーに提案しようとしている“未来のデザイン”を予測している。例えば、TVを楽しむ為の新しいユーザーインターフェイス、ワイヤレス給電出来るiPad用のドック、柔らかな素材により機種毎に変形フィットするユニバーサルドック。マルチ機能を備えたペン型のデバイスまで登場する。

 この本を読んで驚くのは、スティーブ・ジョブズが如何に「デザインの力」を重要視し、デザインに莫大な投資を行ったかという事である。製品発表会、広告、店舗、パッケージ、製品、インターフェイス、サービスにいたるまで、顧客とのあらゆる接点全ての細部に、拘りのデザインを施した。その根底にあるのは、ユーザーへの“もてなしの心”である。これは本来、日本人が得意としていたものである。

 江戸時代から明治初年にかけて創業された、100年以上の伝統を有する店だけが加入する「東都のれん会」という組織がある。その組織が2000年に「東都のれん会五十年史」を編纂した際、各店の家訓を集めるという企画があった。統計的に見ると、1番多いのは「品質を落とさない」「最高の原材料を用いる」という系統の家訓で15店。2番目が「手を拡げない」「誠実第一」という系統の家訓で5店。3番目は「本業以外の禁止」という家訓が4店だったという。

 『アップルのデザイン』を読むと、 「品質を落とさない」「最高の原材料を用いる」という信念が、アップルでも貫かれている事が良く分かる。アップルは、事業分野を限定している事も事実だ。例えばソニーは、エレクトロニクスから映画事業、音楽事業、金融事業まで手を拡げている。アップルが手掛けているのは、コンピューター・テクノロジーを中心とした電子機器とソフトウェアやサービス、そしてエンターテインメントのみである。銀行や保険会社を経営している訳ではない。ウォルター・アイザックソンによれば、スティーブ・ジョブズが目指していたものは目先の利益ではない。アップルという企業を100年存続させる事だったという。

 規模も分野も全く違うが、スティーブ・ジョブズの考え方は、日本の老舗と幾分通じる所がある。そして日本の大企業は、何か大切なものを失いかけている。近頃の日本企業は、規模の拡大と目先の利益に捕らわれ過ぎていたのではないか。長期的な展望に立って流れを読む事が出来ず、世界の潮流に飲まれて経営が悪化すれば、すぐにリストラでその場をしのごうとする。根本的な解決には至らないから、少し時間が経てば、またリストラに走る。江戸時代の商人道や経済システムにも、まだ学ぶべき所が残っているのかも知れない。

2012年4月21日土曜日

タブレット端末が子供に与える影響を考えるべき理由。

 YouTubeに 「iPadの達人」というタイトルの動画がアップされている。1歳6ヶ月の子供が、見事にiPadを使いこなしているのだ。何の違和感もなく、 ホーム画面を指でスワイプし、吟味した上でアイコンをクリック。ホームボタンも効果的なタイミングで駆使。iPadを縦横無尽に使いこなしているのである。まさに“達人”である。子供が、これ程までに違和感なく簡単に操作出来る電子機器が、これまで存在しただろうか。この動画を見ると、自然と 笑ってしまう。

 2011年、マーケティング会社Kids Industriesが英米2,200人の保護者、子供を対象にある調査を実施した。その調査によると、3歳から8歳までの子供のうち、15%が両親のiPadを使用してお り、9%は自分用のiPadを、20%は自分用のiPodを所有している事が分かったという。同時に、タブレット端末への過剰な依存は、自閉症や注意欠陥障害などの発達障害を引き起こす可能性があるとする研究者もおり、専門家の間でも議論されているという事だ。

 どんなデバイスでも、過剰に依存すれば、様々な負の側面を誘発する可能性はあると思う。日常生活に於いて、実体験とiPad体験のバランスを保つことは非常に重要であろう。iPadはあくまでも道具であって、万能なベビーシッターではない。しかし、注意しながら使いこなせば、iPadは子供にも高齢者にも、素晴らしいメディア体験をもたらしてくれる。上記の調査では、タブレット端末の使用が子供にとって有益であるとする保護者は77%となり、また同数が「タブレットは子供の創造性を高めるのに役立つ」と考えている事が明らかになった。


 ドイツのヨハネス・グーテンベルク大学マインツのStephan Fussel博士を中心とした研究チームによると、高齢者にとっては、紙の本よりもiPadで読む方が3倍速く読むことができる事も明らかとなったという。iPadであれば、細かい文字を自由に拡大出来る。背景と文字の色を自分好みの組み合わせに変更して、読み易くする事も出来る。これらの事は、紙の本では絶対に出来ない。iPadは子供でも簡単に操作出来る。これは高齢者にとっても操作が容易な事を意味する。私の母は、80代である。母にWindowsパソコンの操作方法を理解してもらうのは、ほとんど不可能だ。Windowsは操作方法が複雑過ぎる。しかし、iPadなら私の母でも操作方法を覚える事が出来るだろう。iPadは、電源ボタンを押せば即座に起動する。後は指でページをめくってアイコンを押すだけである。終了させるのもボタンを押すだけだ。高齢者でも、読書やインターネット体験で新しい世界に再度触れる事が出来る。スティーブ・ジョブズが、なぜ操作性も含めた総合的なデザインに拘り抜いたのか。それを、再認識させられる。

 iPadが登場しても、iPadによって紙の本が絶滅する事はない。iPadは紙の本の延長上に位置付けられるものではない。iPadが提供するメディア体験は、紙の本とは全く別のものである。本には本の代え難い魅力がある。紙の臭い、質感、手触り。紙のページを捲って行く時のリズムとゆったりした時間。本それ自体を所有する喜び。時に書籍は、それ自体が美術品のような美しい装丁の逸品もある。iPadが提供するのは、それらとは全く別の体験である。テキストと美しい画像、動画そして音楽が調和し統合される。そして、それらを指先一つで操作出来る。このような全く新しいメディアに、子供の頃から触れられる時代になった。タブレット端末が子供にどのような影響を与えるのか。それを今後も研究し考え続けるべきであろう。そしてアプリ開発者も、アプリ自体が社会に与える影響を自覚しなければならない。アプリ開発者にも社会的責任の自覚が求められる。

2012年4月16日月曜日

iPhotoの“フォトジャーナル”を、新iPadで試してみた。

 アップルの写真編集ソフト『iPhoto』のフォトジャーナル機能は、Webアルバムを自動的にレイアウトしてくれる機能だ。誰でもアクセス可能なWebアルバムとして、ネット上に公開する事も出来る。全く同じ画像を使用してGoogleの『Picasa』とアップルの『iPhoto』の両方でWebアルバムを作成・公開してみた。iPhotoの欠点も見えて来た。

 iPhotoのフォトジャーナルでは、写真のレイアウトやサムネール表示される部分のトリミングを自由に調整出来る。iPadを使用する場合、写真のサイズ変更は指先で触れるだけで良い。写真をスクリーン上の別の位置に動かす時も、指先でドラッグするだけである。ちょっとしたコメント、マップによる位置情報、日付、天気の情報もレイアウト内に加える事が出来る。ページを分けて増やす事も出来る。ストーリー性をWebアルバムのヴィジュアルに盛り込む事が出来るのだ。ネット上に公開した後、Webブラウザでチェックしてみる。iPadで閲覧する時は問題ないのだが。デスクットップ版で拡大して見ると、解像度の粗さが目立った。重くならない様に、画像の解像度を落としておいたのだが、あまり落とし過ぎると粗が目立つ様だ。サムネール表示をクリックすると、1枚1枚の各画像が画面一杯に拡大表示される。その際、元画像の原寸大で画面表示されるのではなく、ウィンドウ一杯に拡大表示されるのだ。ブラウザのウィンドウを大きく開いていると画像の粗さが目立ってしまう。ブラウザのウィンドウを小さめに開いておくと画像の粗さは目立たない。

 この「ウィンドウの大きさに合わせて画像が拡大表示される仕様」は、変更して欲しいものだ。Picasaでは、この様な問題は起こらない。iPhotoでWebアルバムを公開する際は、画像の解像度とサイズに注意した方が良い。使用するブラウザがFirefoxとSafariでは、画像の粗さが目立った。Firefoxでは特に目立つ。Chromeでは比較的目立たなかった。iPhotoフォトジャーナルでのWebアルバム公開は、ブラウザとの相性も注意した方が良さそうだ。

 iPadでiPhotoを使う最大のメリットは、一連の作業を全てiPadでこなせてしまう所にある。iPadの内蔵カメラで写真を撮影。iPad用のiPhotoを立ち上げて、画像修正・色調補正を、その場で行う。その後、フォトジャーナル機能で写真をレイアウトし、天気・位置情報・コメントを画面レイアウトに加え、ページ構成を工夫する。そして、iCloudにアップロードして全世界に公開する。友人や家族に、eメールでWebアルバムへのアクセスを促す事も出来る。iPhotoから直接、TwitterやFacebookで写真を共有する事も出来る。

 今や誰もが、写真を言葉の様に発信する。写真が、自己表現の重要な道具になった。iPhoneやiPadを持ち歩いて、気軽に撮影し、気軽に編集して、気軽に全世界へ発信出来る。 自分の写真を、インターネットを通じ全世界で共有すると、海外の誰かから写真へのコメントが返って来る事もある。複数の人々が自分の写真へコメントし合う事もある。Webアルバムの共有によって、世界中の風景を見る。撮影者が、その写真に込めた思いを感じ取るのだ。そして撮影者に対してコメントを返す。そのプロセスは、まるで俳句のようだ。季節を感じて俳句を詠み、句会で批評し合っているかのようだ。写真には撮影者の感性が滲み出る。世界中の季節感を味わう事も出来る。かの俳人・正岡子規が現在の状況を目の当たりにしたら、何と言うのだろうか。どんな一句を詠んでくれるのだろうか。

2012年4月6日金曜日

Googleそしてアップルが挑む “写真の再定義” に望む事。

 かつて私は、『言葉にできない』という楽曲で知られる大ベテランの男性ミュージシャンのグラフィック・デザイン制作を、約13年ほど担当した。レコード会社に在籍していた17年という期間に、数えきれないほど多くの、優れたミュージシャンやカメラマン、デザイナーとの出会いがあった。しかし、この男性ミュージシャンほど、お世話になった方はいない。味わい深いハイトーンな歌声は、スタッフの私でも心に染みるように感じた。安易な妥協は絶対しない人で、本当に厳しい仕事であった。仕事を通じて、クリエイターとしての姿勢や哲学を発見し、学ばせていただいた。その時期の「写真」や「印刷」というものは、現在とは、だいぶ違うものであった。それを振り返っておく事は、これからの写真を考える上でも役に立つと思う。

 デジタルカメラやインターネットが無かった頃。写真と言えば、オリジナルのカラーポジやプリント。真のオリジナルは世界に1枚しか存在しない。紛失したら大問題で、責任の取りようもない。自ずと写真は、慎重に取り扱わざるを得ず、特別な財産であり資産であった。低コストで配布する手段は、専ら印刷である。その際、色調を変更したり合成するのは印刷会社のオペレーターである。印刷に関して、カメラマンやデザイナーが自分で直接加工する手段はなかった。時間も費用もかかる。カメラマンやデザイナー等のスタッフが、印刷会社の人間との“見解の相違”をなくす事、つまりクリエイティヴなイメージを共有する為に、徹底的に議論する事は本当に重要だった。グラフィック・デザインは今よりもずっと、共同作業の色合いが強かったからだ。私も 前述のミュージシャンと、デザイン上の様々な事柄について、連日連夜の徹底的なミーティングを重ねたものである。

 そこに、コンピュータのMacと、レタッチソフトのPhotoshopが現れた。私が最初期に使用していたPhotoshopには「レイヤー機能」というものが存在しなかった。写真をトリミングするだけで数分、場合によっては十数分以上も処理の終了を待たされた。日本語のフォントも少なく、豊かな表現技法を駆使する為には、Macは少し物足りない道具だった。メモリも高価な代物で、増設するのは簡単ではない。昔のMacは、ハードディスクが160MB(GBではない)、メモリが4MB(GBではない)のスペックで、価格が180万円くらいしたと思う。それから、ほんの20年くらいの期間。技術開発は圧倒的なスピードで進行した。今では、圧倒的な機能とメモリとハードディスク容量を備えたコンピュータを、昔と比べれば驚愕の低価格で入手出来る。かつて印刷会社が使用していた高価な画像処理専用のワークステーションより、今現在のPhotoshopの方が遥かに多くの機能を有し、ずっと手軽に画像処理出来る。このレベルに辿り着くまでに、多数の人間が困難に立ち向かったのだ。ハードウェア技術者、プログラマー、デザイナー、カメラマン、販売担当者、マーケティング担当者、全ての先人たちに、心からお礼を申し上げ、頭を下げたい。

 今ではデジタルカメラとインターネットが普及し、写真の在り方は大きく変貌した。 携帯端末でデジタル画像を撮影。タブレット端末で画像処理を施しWebアルバムを編集。インターネットとSNSで全世界の人々に自分の写真を公開出来る。高機能の一眼レフカメラとフォトレタッチソフトがあれば、とてつもなく美しい画像を、昔よりも遥かに効率よく生み出す事も可能だ。写真を全世界に向けて発信し共有する事によって、様々な地域・国家・民族の人々と意見交換し、新たなアイデアが醸成される事もあるだろう。写真が言葉の様に活発に発信され、コミュニケーションの重要な道具となっている。写真は一部の人の特別な道具ではなく、多くの人が手軽に使えるものとなった。写真は全世界で共有する財産となったのだ。この様な時代には、写真の権利にも大きな変化が起きる事になる。これまでの著作権の考え方を変えなければならないのかもしれない。

 Googleもアップルも、やり方は違うにせよ、携帯端末からタブレット端末、そしてWebアルバムまでトータルの流れをサービスとして提供出来る。両社それぞれで写真を再定義し再発明する事を完遂しようとしている。Googleとアップルの関係は対決を軸として語られる事が多い様に思う。しかし私は、アップルのiPhoneとiPadを使い、Googleで画像検索してGoogle+で写真を発信し、GoogleのPicasaでWebアルバムを共有している。Googleもアップルも、独自性を保ちながらも状況によって臨機応変に協働し、より優れたサービスを提供する事も可能なのではないか。対立するばかりではなく協働する部分を、もう一度見つめ直すべきではないか。

 「写真」や「印刷」「Web」は、僅か20年余りで、ここまで急速に進化した。それは高い理想と目標を掲げ、猛烈な情熱を絶やさなかった先人たちのおかげであろう。私は、自分自身で画像処理や色調補正を施したいと強く願っていた。コンピュータのスペックが上がり低価格となる事を強く願っていた。現在のような環境になり大変嬉しく思っている。 とにかく20年前は、全く別な世界であった。これからも進化を続けて行くには、先人たちがそうであったように、次の世代の人々も高い理想と目標を掲げる事が必要であろう。Googleやアップルも、目先の利益や対立に捕らわれる事なく、数十年先、百年先を見据えて、今現在のビジネスを展開して欲しい。

 次回は、アップルのアプリ「iPhoto」について考えてみたい。