あのiMacは、最初『マックマン(MacMan)』という商品名で発売されそうになった。ソニーのウォークマンを連想させる商品名。今となっては驚くべき事だが、スティーブ・ジョブズは、わざとソニーを連想させるような商品名にしようとした。これにストップをかけたのが『iMac』という商品名を生み出したクリエイティブ・ディレクター、ケン・シーガルだ。ケン・シーガルは、 アップルの「Think Different」キャンペーンに携わり、「iMac」と命名した伝説的クリエイティブ・ディレクター。 今回ご紹介する本は、ケン・シーガル著 『Think Simple アップルを生み出す熱狂的哲学』(林信行:監修・解説 高橋則明:訳)。アップルとジョブズが、如何に「シンプル」という哲学にこだわっていたかを、著者ならではの実体験を交えて解説した書籍である。著者ケン・ シーガルは、デル、IBM、インテルなどの広告キャンペーンも担当していた。ジョン・スカリーがCEOだった時代のアップルも担当している。それらを総合的に比較評価できる人物なのである。彼はアップルと他のライバル企業を比較し、アップルの昔と今を比べる事もできる。なぜ『マックマン(MacMan)』という商品名を止めて、『iMac』という商品名を採用したか。その経緯も、この書籍に述べられている。
この書籍では、ジョブズとアップルが、様々な局面で<シンプル>を追求する姿が述べられている。会議、広告、ネーミング、パッケージ、ウェブサイト、ブランド・イメージなど様々な要素が具体的な事例と共に登場。著者によれば、「<シンプル>を追求するアップルの姿勢は、他の企業では見られないレベルであり、単なる熱中や情熱を超え、熱狂の域にまで達している」そうだ。それは、ジョブズから始まった事だが、いまやアップルという企業のDNAに深く刻み込まれているという。意思決定プロセスや製品コンセプト構築において、無駄を省きポイントを絞り込む重要性は、誰でも思いつく事だ。ところが実際に行動に移すとなると、とたんに難しくなる。アップルは、<シンプル>を貫くという哲学を、組織として体現しているからこそ傑出した印象を残せるのだ。なぜアップルでは、このような事が組織的に可能となったのか。私は、この書籍を読んで、スティーブ・ジョブズのリーダーシップが重要な力であったと痛感した。この書籍を読むと、“リーダーシップとは何か?”を深く考えさせられる。
野球でもサッカーでも、勝利を掴み取るにはチームワークが重要だ。 個別のメンバーが好き勝手に行動したり、モチベーションが低くては勝利など覚束ない。アップルのような巨大企業でチームワークを維持するのは、なおさら難しいだろう。かの「Think Different」キャンペーンは、一般の消費者だけではなく、アップルの社員もターゲットにしていた。著者によれば、絶滅の危機に直面している企業は通常、生き続けるために何でもする。しかし大抵、ブランド確立キャンペーンの費用捻出はそこに含まれない。ジョブズが復帰したときのアップルは、まさに絶滅の危機に直面していた。そのような状況で、ブランド確立キャンペーンに相当な資金を投入するのは、確かに図太い神経だ。メディアから辛辣に叩かれ、迷走する経営に疲弊し、アップルの社員は目標と士気を失っていた。アップルに復帰したジョブズは、「Think Different」キャンペーンによって、社員に“目標”と“誇り”を取り戻そうとした。「Think Different」という言葉は、アップルの本質を表現し、顧客の琴線に触れた。そして社員には、閧(とき)の声となった。通常の思考を踏み越えてこそ世界を変えられる…。「Think Different」キャンペーンのCMは、今見ても心を揺さぶられる何かを感じる。ジョブズが亡くなった今となっては、なおさらだ…。
スティーブ・ジョブズの経営スタイルは、マイクロマネジメント。プロダクト・デザイン、基盤設計、OSの操作性、マーケティング、広告メディアの選択など、ありとあらゆる細かい要素について情報を吸収し、スタッフに意見を投げかける。いわゆるMBA(経営管理修士)的な経営スタイルは、「大局的に経営状況を把握し、細々としたプロセスは各部門長に任せる」というものだろう。ジョブズのスタイルは、明らかにこれとは対極にある。ジョズブは細かい情報も把握し、同時に大局的な視点も失わない。歴史に名を残す映画監督の仕事ぶりを思い出す。まるで、黒澤明を見ているかのようだ。巨大企業の複雑な組織は、放っておくと必ず“混沌”が蔓延する。ハッキリとした指針を示し、細かい情報を把握した上で、余分なコンセプトや機能を削ぎ落す。組織にはびこる“複雑さ”、“混沌”を取り除く。これがジョブズのリーダーシップだと思う。
スティーブ・ジョブズは、次のように語っていたそうだ。
イノベーションをするときに、ミスをする事がある。最良の手は、すぐにミスを認めて、イノベーションの他の面をどんどん進める事だ。
ジョブズは、“真に優秀なスタッフ”を見抜く力を持っていた。彼らの言葉には、真摯に耳を傾けた。熟慮の末、自分が間違っていたと気づけば、素直に彼らの意見を取り入れた。決して頑に自分の意見を押し通し続けた訳ではない。ジョブズは、自分の間違いを認める「強さ」と、大改革に挑む「心意気」を持っていたのだ。今の日本は、あらゆる業界とあらゆるシステムが変革を求められている。ジョブズの語った言葉の意味を噛み締める事には意味がある。
「Think Different」キャンペーンCM
iMac CM