2012年7月2日月曜日

音楽業界にいた者として、“違法ダウンロード刑事罰化“を考えてみる。(その1)

 私は、17年間レコード会社に在籍していた。その間、数えきれないほど多くのミュージシャン達と、音楽グラフィック・デザインに関連する仕事をした。今回は、音楽業界に身を置いていた者として、“違法ダウンロード刑事罰化”について考えてみたい。違法ダウンロードへの刑事罰導入を盛り込んだ著作権法改正案は、2012年6月20日に成立した。10月1日に施行され、違法にアップロードされた音楽ファイルなどをダウンロードする行為に2年以下の懲役または200万円以下の罰金(親告罪)が科されることになったのだ。この法改正の主な理由の1つは、“このまま違法ダウンロードを放置すれば、音楽の売上は減少し続け、音楽という日本文化を守る事ができない”というものだろう。しかし私は、この法改正によって、音楽の売上が伸びたり減少に歯止めがかかるのか疑問を抱いている。法律学的な細かい議論は専門家にお願いし、私自身、これからも学んで行きたいと思っている。ここでは、なぜ音楽業界がこのような方向に走ったのか。今後、エンターテインメント業界は、どのような方向に進んで行くべきなのかを考えたい。1. なぜ音楽が売れなくなったのか 2. 音楽と権利・法律 3. iPadなどの新しいメディアインフラが、音楽や映画に与える影響 以上の3点から考察する。音楽業界の問題を考える事は、他の業界の問題を考える事にも必ず役立つと思う。

 1. なぜ音楽が売れなくなったのか

 音楽が売れなくなった原因は、少子高齢化、メディアの多様化、楽曲の品質低下など様々な要因が複合的に絡んでいる可能性が高く、簡単に説明できるような問題ではない。ここでいう「音楽」には、CD、配信データ、ライブ・パフォーマンスなど様々な要素が含まれる。CDの売上が著しく低下した代わりに、ライブ事業や音楽出版事業の市場規模拡大に期待する意見もある。しかし、音楽業界にいた私の経験で言えば、ライブで大きな利益を出すのは本当に難しかったはずだ。ライブ事業を行うのは、主に、ミュージシャンが所属するプロダクションである。レコード会社本体が、直接ライブ事業を行う訳ではない。ライブの制作には多大な経費が必要だ。ライブツアーを敢行するには、レコード会社の援助やスポンサー企業からの協賛金が欠かせなかった。チケット料金やグッズの売上だけで回せるような状態ではない事が多かったと記憶している。私はレコード会社を去って久しいが、今でも状況は大きくは変わっていないと推測する。援助するレコード会社は、主にCDで利益を出すのだから、CDが売れなければ、ライブツアーの資金繰りも結局は厳しくなってしまう。小さなライブハウスであれば制作費は少なくて済むが、集客も売上も小さくなってしまう。巨大化した音楽産業は、それだけではとても維持出来ない。そもそも、無名の新人ミュージシャンのライブに大量集客する事が難しい。故に、まず小さなライブハウスからスタートして、次にCDを聴くリスナーを増やす。その後、大規模なライブツアーに来ていただけるリスナーを増やすのが基本だ。日本の音楽産業を支えているのは、今でも、CDの売上である。縮小するCDの市場規模は今でも、ライブ事業よりも大きい。

 CDの市場規模が縮小を続けるなら、それに伴ってレコード会社も縮小するしかない。全く新しい音楽ビジネスモデルが確立すれば、レコード会社に変わって新しい企業体が中心に躍り出る可能性もある。音楽産業全体の市場規模は、拡大に転じるかもしれない。私は、音楽の売上が低下している事よりも、音楽の存在感が薄れている事が重要な問題だと考える。

 私は、現在40代である。私が高校生、大学生だった頃は、携帯電話もインターネットもブログもTwitterも存在しなかった。そのような時代に、世代感覚を確認・共有する事は簡単ではない。周りの友人達と語らえば、志向性や問題意識を確認し共有できる。しかし日本という国全体で、自分と同じような志向性・問題意識を持っている同世代の人間が、どれくら存在するのか。それを知る事は難しい。そのような時代に、音楽や映画は、世代感覚を確認・共有するコミュニケーション・ツールとしての側面を持っていた。

 例えば「尾崎豊」。私は、熱烈な尾崎ファンではないし、彼のライブに行った事も無い。それでも、彼の音楽世界に登場する校内暴力の描写に心を動かされた。尾崎の歌う“心の葛藤”には、共感するものがあった。自分が共感した音楽を友人に薦める。すると、その友人が別の友人に薦める。尾崎の音楽には、私の世代の共通感覚が表現されていた。ライブに参加すれば、同じ様に共感している多数の同世代を目にする事になる。自分と同じ志向性、問題意識を持っている同世代の人間が、これほど多くいるのかと確認できるのだ。ミュージシャンは、自分に変わってメッセージを世界に発信してくれる代弁者だった。自分の愛する音楽や映画を表明する事は、自分を表現する事だった。自分の愛する音楽や映画が世間に広まって行く事は、自分の発信したいメッセージが世間に広がって行く事だった。

 だが、今は全く別な世界になった。テクノロジーを駆使して、誰でも手軽に、メッセージを発信し共有できる。スマートフォンとインターネットを使えば、写真や文章を世界に向けて投稿できるし、他の人々の投稿を見れば、自分と同じ志向性・問題意識を持った人々を具体的に確認できる。ブログで自分の哲学を表明し、世界中の人々とコミュニケーションを図る事もできる。このような時代の音楽は、コミュニケーション・ツールという側面の役割が低下する事は止むを得ないだろう。音楽は、他の側面での役割も果たさなければならない。

 音楽業界は、「音楽とは何か?」「音楽の果たせる役割とは?」といった根源的な問題に、もう一度真剣に向き合わなければならない。 表面的な売上を取り繕う事に終始していても、何も解決しない。

(その2)へ続く…

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